人生の選択肢を提供する。オンラインのピル処方「スマルナ」

フェミニズムとも相まって、近年盛り上がりを見せるFemTech。国内でも少しずつサービスが増えてきている。そんな中FemTech分野で気を吐いているのが、オンラインでピルを処方したり、婦人科系の医療相談ができたりするプラットフォーム「スマルナ」を運営するネクイノだ。同社は2020年に、医療情報をセキュアに閲覧するための個人認証システム「メディコネクト」の提供も開始した。同年、FemTech分野では世界的にも規模の大きい約20億円の資金調達を発表したことでも注目を集めている。

本記事ではネクイノ代表の石井氏に、スマルナやメディコネクトのサービス内容や、FemTechを普及させるための政治活動への取り組みについて、話を伺った。

 

株式会社ネクイノ 代表取締役社長 石井 健一(Ishii Kenichi)

株式会社ネクイノ 代表取締役社長
石井 健一(Ishii Kenichi)

1978年埼玉県出身。2001年帝京大学薬学部卒。2013年関西学院大学専門職大学院卒。薬剤師、MBA。外資系製薬会社のスペシャリティ事業部での経験をもとに、オンライン診察の作り出す可能性を確信し2016年にネクストイノベーション(株)(現「㈱ネクイノ」)を創立。(実はネクイノの2代目社長だったりする)ちなみに社名はフジテレビ系ドラマ「リッチマン・プアウーマン」よりいただきました。Twitter: @kenichi141

 

婦人科へのアクセスをオンラインで改善する

「スマルナ」は婦人科領域に特化したオンライン診察プラットフォームだ。生理や避妊で悩む女性が医師にオンライン診察でピル(経口避妊薬、またはOC(Oral Contraceptives)とも呼ばれる)を処方してもらえたり、助産師や薬剤師が女性の性や体の悩み相談を受け付ける「スマルナ医療相談室」が運営されている。特にピルの処方については、現在の日本のルールだと医師が処方しなければいけないこととなっているが、診察にはほとんどの場合で医療機関に通わなくてはならず、女性にとって負担が大きい。そのため、ピルへのアクセス改善という意味で期待がかかるサービスだ。

スマルナではテキストチャットまたはビデオ通話で診察を受けられる。テキストでの相談は24時間可能だが、医師の対応は原則日中。ただ医師によっては夜間や土日でも返信をしたり、ビデオ通話をしたりといった対応もしているため、ユーザーは平日昼間以外でも返信が期待できる。スマルナは連休や年末年始でも稼働しているため「社会インフラとしての機能も果たしている」と石井氏は話す。スマルナの使用料自体は無料で、ピルの購入時には費用がかかる。スマルナのビジネスモデルは医薬品卸で、医薬品メーカーから薬を仕入れ医療機関に販売。差額が利益となる。

(image: ネクイノ)

 

ピルの処方や婦人科の悩み相談をオンライン化するスマルナだが、そもそもオフラインでの同機能は、従来病院やクリニックが担ってきた。ではスマルナを使うユーザーのニーズはどこにあるのか。この点石井氏は「医療機関に行く際のハードルが高い」のだと語る。消費者の中には婦人科に通うことに抵抗や恥ずかしさがある人も多い。またそもそも自分が婦人科に係る対象なのかどうかもわからないこともあるようだ。そんな悩みを抱えるユーザーにとって「オンラインで気軽に相談できる」という価値は大きく、スマルナのユーザー数増加に繋がっているのだという。

 

欧州や東南アジアに比べて、低いピルの使用率

ネクイノは2020年12月に総額約20億円の資金調達を発表している。スマルナは所謂フェムテックのサービスだ。まだまだ立ち上がったばかりのこの産業では、世界を見渡しても10億円以上の資金調達をしている会社は多くない。もちろん資金調達金額が大きければよいというわけではないのだが、それでもフェムテック分野の、それも欧米に比べれば全体的に資金調達金額の小さい日本のスタートアップがこれだけ評価されたのは驚くばかりだ。

ネクストイノベーション株式会社から、株式会社ネクイノへ 医療DXのネクストステージに向けて、約20億円の資金調達を完了 〜会社名、ロゴマーク、WEBサイトもRe▷design(サイテイギ)〜
https://nextinnovation-inc.co.jp/news/250RSOYpVq2bkP58e72qFs 

 

一般的に、ベンチャーキャピタルからの資金調達に際して重要な項目のひとつが、スタートアップの挑む市場規模だ。ただ日本のピル市場に対する直接の統計はないし、そもそも日本ではピルが広く使われているとは言い難い。ではスマルナはピルの市場規模をどうみているのか。そのヒントはピルの「普及率」だ。

国連は「Contraceptive Use by Method 2019」という資料の中で、各国毎にどのような避妊方法が常用的に使われているかというデータを公開している。日本はピル使用率の割合は2.9%(注:他の選択肢に「Any Method」があるため、実際の使用率はさらに高いと推察される)だが、例えば欧米ではフランスが33.1%、東南アジアではタイが19.6%と高い数値を記録している。東南アジアの国は比較的数値が高いのだが、これは薬剤師がいる薬局で簡単にピルが購入でき、しかもその価格が安いことに起因する。東南アジアでは300円程度でピルが入手できるが、日本でのピルの金額は状況にも依るが診察代も含めて3000~4000円程度。実に10倍の価格となっているのだ。ピルを気軽に使うには高い金額に感じる。

当たり前ですが、日本人もフランス人もタイ人も体の仕組みは同じです。なのにフランスはピルの常用使用率が33%なのに日本では3%程度。そのため将来的には今の10倍ピルは普及したっておかしくないというのが、ネクイノの考えです。ニーズがないわけがない。表面化していないだけで絶対にあるんです。(ネクイノ石井氏、以下同様)

 

ところで、現在世界的にSRHR(Sexual and Reproductive Health and Rights、性と生殖の健康と権利)の議論が広がっている。この流れの中で「『子供を産むか産まないかを決めるのは自分』という考え方が世界の主流になっている」とも石井氏は語る。翻って日本では、子供の有無に対しての選択権はコンドームを使う男性側に寄っていたため、女性が主体的な避妊をするという選択肢がほとんど用意されてこなかった。そういった意味で現代日本では、女性が自分で選択をするためにも、ピルの普及が期待されている状況にあると言えるだろう。

 

企業・行政・教育機関。あらゆる組織のニーズを把握する

BtoCのビジネスとしてスマルナを運営するネクイノだが、これをBtoBに活用したのが「スマルナfor Biz」だ。前述のようにピルに対するニーズは社会全体で高まっているものの、アクセスがよくない。それを改善すのがスマルナだった。

同様に企業内でも生物学的女性の健康課題は潜在的にはあるものの、それを解決する手段がない。そこで登場するのがスマルナfor Bizだ(ちなみに生理痛などによるプレゼンティーイズム(出社しているが心身不調のため満足に働けないこと)による労働損失は、2013年の調査では年間4,911億円にも上ると試算されている)。

スマルナfor Bizは「スマルナ医療相談室」の仕組みを、企業の福利厚生として使ってもらうもの。女性社員は上司や人事部には相談できない「生理がつらくて朝起きられない」「PMSが仕事に支障をきたしている」といった悩みを、助産師や薬剤師に相談する。個人として悩みを解決するのはもちろん重要だが、ここで注目するべきはネクイノが集める「データ」だ。

スマルナ for bizのWebページより

 

近年欧米企業では、卵子凍結や婦人科系のサービスが福利厚生として採用されるケースが増えている。例えばFacebookやAppleは女性社員の卵子凍結費用をサポート(参考)。日本においても健康経営や女性社員の働きやすさ改善といった文脈から、似たような案が俎上に載るケースがあるようだが「社員からそんなニーズを聞いたことがない」という理由で採用に至らないことも多いようだ。しかしこれこそが間違いの元だと石井氏は指摘する。

「どういう福利厚生が欲しいですか?」って社員に聞いたって既存の内容しか出てこないんですよ。それに生理休暇を取ろうとするとズル休みなんて言われちゃうような文化で、卵子凍結や婦人科のオンライン相談なんていう意見が出てくるはずがありません。「生理痛でものすごく悩んでいる」なんて言わないんですよ、解決してくれると思っていないから。だから会社は生理や卵子凍結で従業員が悩んでいるという事実を把握できないんです。

 

そこで役立つのがスマルナfor Bizのデータだ。ネクイノはここに集まった情報を、個人情報がわからない形にして、「社内ではこんなことに困っている方がこれだけいます」と会社に伝える。その上で企業が「この課題に福利厚生で取り組みたい」となれば、ネクイノはパートナーとして手伝う。つまり企業は、自分達の真の状況、つまり女性従業員が本当に困っていることの確認のために、スマルナfor Bizが利用するのだ。

なお2020年末時点では、企業はスマルナfor Bizを無料で利用できるようになっている。従業員が相談してピルが必要になることがあれば、ユーザーをスマルナに誘導するので、ネクイノとしてははそこがキャッシュポイントとなる。

ピルを飲んで楽になるという受益者はあくまで個人なので、今のところ企業課金はしていません。ピルを飲める環境を社会実装していくためには、生活者一人ひとりにピルのことを知ってもらわなければならない。そのきっかけはメディアだったり広告だったりするわけですが、その一つとしてスマルナfor Bizを活用しているんです。

 

ネクイノは他にも、ピルを飲む環境の社会実装を進めるため、企業だけでなく教育機関や行政とも連携を深めている。教育機関では、学生が婦人科領域の個別オンライン相談をできるようにしている例がある。学校向けのスマルナ相談室のようなサービスで、学生からすればオンライン保健室のようなイメージだろう。

ネクイノ、学生の生理や性の悩みをオンラインで個別支援する相談事業を開始 ~導入第一弾として岐阜県立不破高等学校と業務提携~
https://nextinnovation-inc.co.jp/news/3flfyQZbkj08xwSBSXjaVW 

 

行政向けには「災害時における婦人科領域の相談」を行う。例えば2020年から続くコロナ禍において、妊婦がクリニックに行くことで、新型コロナウイルスを感染する・させるリスクが生じてしまう。もし産婦人科でコロナが発生したら、一定期間クリニックを閉鎖する必要がある。ただでさえ産婦人科(医)が不足している状況で閉鎖がおきれば、その地域の医療崩壊に繋がりかねない。

だったら迂闊にクリニックに行く前に、オンラインで相談すればいい。スマルナの仕組みを使って患者が助産師や薬剤師が事前に相談することで、医療側はリスクを減らせるし、何より患者もわざわざ(オンラインで済むのに)クリニックに行く手間から解放される。患者にとっても医療機関にとってもメリットのある仕組みだ。

 

産まれてから今までのデータをセキュアに把握する

ネクイノは2020年12月、新サービス「メディコネクト」を発表した。メディコネクトはマイナンバーカードと健康保険証をオンライン上でセキュアに結びつけられるシステムだ。医療に関する個人情報を入手するための「鍵」となるアプリケーションで、医療機関や個人からすると「電子カルテをどこでも見られるシステム」といったイメージだろう。

マイナンバーカードと健康保険証をリンクさせるセキュアな個人認証システム 「メディコネクト」の提供を開始 〜オンライン診察のピル処方アプリ「smaluna」で一部連携を開始〜
https://nextinnovation-inc.co.jp/news/3ZsCoEISHeKN1F9po7Ldup

 

効果的な医療行為には、患者の検査履歴や服薬情報の把握は不可欠だ。現在の制度ではお薬手帳が近しいだろうが、これは完璧なシステムではない。しかしクラウド技術や電子カルテが発展してきた昨今、理論上はそこにアクセスできれば患者の情報を把握でき、効果的な医療行為に繋がるのは間違いない。特にスマルナのようなオンライン医療が普及すれば、昨日北海道の医師から診察を受けた人が、明日沖縄の薬剤師に相談するようなことは珍しくなくなる。そのため「オンラインでいつでも患者の情報を見られる」というニーズは今後より高まることが予想されるのだ。

かと言って医療情報という個人情報は、本人以外に簡単に見られてはいけない。そこで登場するのがメディコネクトである。メディコネクトは「マイナンバーカードを健康保険証として利用できるシステム(編注:この点は後述する)を補完し、発展的な利用を促進していくための機能で…(中略)…様々なデータ連携を行い、医療の領域におけるパスポートとして利用できるようになることを想定」(メディコネクトHPより引用)している。病院はメディコネクトを利用することで、患者の検査履歴や服薬状況が把握できるので検査や服薬の重複を防げ、薬局では薬剤師が診療情報を見ながら服薬指導を実施できるようになる。患者も他の医療機関での出来事を報告する手間が省ける。

2020年時点で特許出願中のためメディコネクトの詳細は明かされていないものの、基本的な仕組みは「各医療機関が扱っているAさんの医療記録を、Aさんの許可を得て各医療機関から取得する」といったものだ。Aさんは生まれてから今まで色々な医療機関にかかっているので、自分が産まれてから今日までの医療記録があちこちに点在している。メディコネクトではこれをユニークなIDを使って取得するのだが、このIDとして使われるのがマイナンバーだ。

医療に関わるIDと言えば健康保険証が思い浮かぶ。しかし健康保険証は結婚による苗字の変動や転職によってIDが変わってしまうので、ユニークなIDではあるのだが一貫性がない。しかし2021年3月より、マイナンバーカードが健康保険証としても使えるようになる。マイナンバーは生涯変更されないので、ユニークなIDとして利用できるのだ。ただしマイナンバーを健康保険証として使うためには、両者をシステムで連携させなくてはならない。しかしながら医療機関では、システム導入費用や、患者への説明負担、セキュリティ等の問題から両者の連携が進んでいない。そこでメディコネクトが、オンライン上で簡単かつ安全にマイナンバーカードと健康保険証の連携させるのだ。

メディコネクトのwebページより

 

メディコネクトを利用している医療機関Bは電子カルテに情報をアップしておくだけ。患者Aが医療機関Cに行ったときにBでの情報が必要になれば、Cは患者Aの許可を得てメディコネクト経由でAから情報を取得してくる(なおBはメディコネクトと契約している必要はなく、Cだけが契約していればよい)。

メディコネクトの連携第一弾として、スマルナとメディコネクトの連携が始まっている。これによりスマルナユーザーは、医療情報にいつでも安全にアクセスできるようになっている。

スマルナは元々サービスの中に、メディコネクトの概念が実装されているんです。スマルナ相談室でのやりとりは、本人が許可すれば医療機関が見られる。これこそメディコネクトのやっていることです。でもスマルナを他のプラットフォームに連携させるのは無理があるから、メディコネクト経由で繋ごうとしいるんですね。

個人情報をどこにどうやって保管するのかという議論は進んでいますが、それをどう使うのかという議論はまだなされていません。医療の現場の課題や、可視化されていないニーズを、あるべき姿にするためのプラットフォームを提供するというのが、ネクイノのスタンスなんです。

 

 

FemTechの普及にはロビイングも必要

スマルナやメディコネクトを軸にFemTech、ひいてはメディカル領域で活躍の場を広げるネクイノ。今後の展開は「一つはスマルナを始めとしたSRHRのサービスを追求すること、もう一つは医療DXの実現」だと石井は語る。

日本の医療は質が高いし、クリニックは街中にたくさんありますよね。これは僕の持論なのですが、国民の生活の質を上げるという意味で、日本の医療でDXが必要なのは「診察」ではなく、診察までのアクセスだったり、予防なんです。ネクイノはそこを追求したいきたいと考えています。

 

ところで、一般社団法人メディカル・フェムテック・コンソーシアム(以下「MFC」)という組織が2020年に設立されている。この法人は「フェムテックを、科学的根拠に基づき医療と親和させることにより、フェムテックに係る各種製品及びサービスが、医療制度及び薬事制度における正当な評価を受けられるようにすること、また、それを通じて、フェムテックに関する各種の製品・サービスを、社会に普及させることを目的として設立された団体」(HPより抜粋)だ。ネクイノはFemTech普及のため、MFCの設立・運営にも関わっている。

先述したように日本では例えばピルの浸透率が低かったり、そもそもFemTechの認知が低かったりと、まだまだ市場が形成されているとは言い難い。規制も厳しかったり、数十年前に作られた法令が適用されていたいと、必ずしも現代に即していないルールに縛られている側面もある。そうすると海外も含めたFemTechのプレイヤーは、「面倒な日本より東南アジアを攻めたほうがいい」となりかねない。しかしながら日本にとってこのような状況は、本来有益になりうる商品やサービスが国内に入ってこないという状況を招くので、好ましい状況ではない。かと言って、医療が関わる領域で、規制もなしに自由な経済活動は許されない。つまりメディカルの立場からも、FemTechとの関係についてははっきりさせなければいけないのだ。

そのためネクイノは、FemTechのプレイヤーの立場から、メディカル・アカデミアとの連携を深めるためMFCの設立に協力している。なおMFCは2020年に自民党内に発足した「フェムテック振興議員連盟」にもオブザーバー参加。今後のFemTechのあるべき姿を見据えて、政治にも働きかけ、ロビイング活動をしているようだ。

日本がFemTechのサービスを普及させるためには、まだまだ障壁がある。しかもその障壁の中には古く、現代にそぐわないものも少なくない。だからこそルールの改正が必要となることもあるだろう。ネクイノは自社サービスの浸透のみならず、ロビイング活動を通じてFemTechが日本に普及する活動もしている。スマルナやメディコネクトも含めたFemTechの普及については、サービスだけでなく政治等にも注目する必要がありそうだ。

(text: 納富 隼平、edit: pilot boat、photo: taisho)